
辻睦励会の担いも今年で終わり。20年間にわたり慣れない祭礼のあれやこれやに費やした時間は、苦楽を共にした仲間たちとのかけがえのない貴重な体験であった話其ノ二
辻祭礼にて熊野神社境内での祭りこみ
今年の各地の祭礼は7月13日(日)に執り行われた。なんでも根岸は9月か10月に時期をずらしたとか。この暑さの対策なのかどうかは分からないが、農作を行わなくなった地域の現代においては、五穀豊穣といってもピンと来ないというのも否めない。祭りと言えば夏!夏と言えば祭り!という風に、秋の収穫を願い神輿を担ぐ男衆たちの習わしは、もはや時代におきざりにされた無形文化の様であもある。
とにもかくにも、辻の祭礼を取り仕切る辻睦励会という地元若衆の集まりは、村社会の構図を色濃く残した古き良き慣習の団体である。今は無き辻7丁目にあった居酒屋『だるま』において家族で食事をしていた際に、こちらも今は亡き清水工務店の棟梁と遭遇し『おう!埼京さんとこのせがれさんじゃないかい。辻睦励会はいらなきゃだめだぜぃ』。この押しの一手の男に対して私の意思を汲むまでもなく母が応戦。小さい頃、神社内の公民館でガラの悪いお兄さまたちがたむろしている記憶しかなく、私は断固として拒んだのだが…。
母と棟梁が結託。間もなく入会することとなり、熊野神社を訪れたのが20年以上前の話だ。思っていた通りガラは悪いし目つきの怖いし、所謂“ごろつき”なる言葉がもっともしっくりくるお兄たまたちが沢山いるではないか。何とも居心地の悪い数年を過ごすこととなったわけである。
辻の祭りは地元の方々の寄付でなりたっている。そして新田・水の口・文蔵前・前方の4つの地区に分けられており、私の地区は前方(まえかた)であった。前方はその昔は水田が多くあり、宅地化が進んで最も住宅の多い場所となっている。そのため寄付集めも一苦労で、他の地区が1.2周で終わるのに対して、前方地区は3.4周係ることもあるくらい範囲も密度もあるところなのだ。土日が書き入れ時の商売柄、仕事で何度も穴をあけることとなる中、ある先輩から浴びた言葉が記憶に残る。
『仕事仕事といっていたらいつまでたっても何もできやしないじゃないか。自分が住んでいるまちの事なんだから、もっと真剣に取り組みな!』とこんな感じの言葉だったと思う。酒が入ると手が付けられない暴君ぶりを如何なく発揮する地元の先輩で、かなり変わった人だったが、今思うとこの時から幾分かスイッチが入ったように感じている。いずれにしても、とことんガラの悪く酒ばかり飲む集団であったが、続けているうちに同級生や地元の後輩が増えてきて、それなりに楽しくやってきていたのである。
明日へと続く…