旅するように暮らしたい
窓辺に差し込む木漏れ日。
洗濯物を干しながら眺める空。
お隣の庭にやってきた小鳥。
景色って、目から摂る栄養なのかも。
当社から車で5分ほどのところにある別所沼公園に、「ヒアシンスハウス」という名の小さな小屋が建っています。
関東大震災が起きた1923年以降、浦和には多くの文化人が移り住んできました。詩人で建築家でもあった立原道造も、浦和郊外に週末用の小さな別荘を持つ夢を持っていました。しかしその構想だけを残して、立原は24歳という若さでこの世を去ってしまいます。遺稿となったスケッチや設計図をもとに、60年以上の時を経て建てられたのが「ヒアシンスハウス」です。結核を患いながらも土地取得のメドなど具体的な手続きまで進めていた立原は、別荘への思いを綴った詩も残しています。「僕は、窓がひとつ欲しい」。そんな始まりの詩です。
浦和は昭和初期、「鎌倉文士に浦和画家」という言葉も生まれるほど文化の香り高い土地として人気がありました。
そのDNAは現代の浦和にも受け継がれています。新都心としての表情、ノスタルジックな風情、豊かな自然、そのすべてが調和するどこかほっとする町です。住宅地の区画割も都心に比べると余裕があり、「ゆったり停められる駐車場」「ガーデニングができる庭やベランダ」といった条件をクリアする物件も豊富です。そしてそういう物件の何より良いところは、建物がそこまで密集していないので「空が広い」ということ。人工物に邪魔されずに窓の外の風景を楽しむことができます。
先日、ちらりとですが窓から川が見える物件に入居を決められた方がこんなことを言っていました。
「隣の建物の壁を見て暮らすのと、この景色を見て暮らすのとでは、1年後の自分はまったく違う人間になっていると思う」。
立原道造も詩作や設計の合間にそんな景色を見たかったのかもしれません。
東京も新宿も30分圏内。にも関わらず、周辺環境や景観や良くて家賃がリーズナブル。
実は最近、浦和のそんな魅力が拡散されているような気がしています。地元在住のお客様とは「一度住んだらなかなか離れられませんよね」と浦和愛で盛り上がることがこれまでもありましたが……。SNSなどのおかげもあるのでしょうか、ずっと穴場的な人気に甘んじていた浦和が今ちょっと熱いです(と思います)。コロナ禍で郊外への住み替えニーズが長期化しているのも一因だと思いますが、気軽に旅行にも行けず我慢することが何かと多いご時世にあって、「僕は、窓がひとつ欲しい」という願望が多くの人の心の中で強くなっているのかもしれません。
というわけで、「隣家の立派なお庭を借景」「向かいが公園」「駐車場ビュー」などなど、ちょっとユニークな物件をご案内する機会が増え、私たちにとって今までになく刺激的な日々が到来しております。住み替えをご検討中の方は、ぜひ人気が出すぎる前(そんなことあるのだろうかドキドキ)に早めに浦和へお越しくださいね!
※記事中に掲載している写真はイメージです。
旅するように暮らしたい
眺めのよい部屋
1103号室
マンション・1R(武蔵浦和駅 徒歩6分)
家賃 | 110,000円 |
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共益費・管理費 | 0円 |
敷金 | 150,000円 |
礼金 | 無 |
間取 | 1R(洋室29帖) |
所在地 | さいたま市南区白幡3-9-12 |